沖縄におりたって、南部にはなかなか行く機会がなかったんですが、旧海軍司令部壕事業所と呼ばれる施設を見学してきました。
那覇空港から20分程度の程近いところにあり、高台までやってくるとその施設があります。
【たらひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館 目次】
日本で唯一、住民を巻き込んだ地上戦が行われたのが沖縄で、その司令部が置かれていたところです。
特に沖縄は南部にかけて戦争の傷跡が数多く残っています。
旧海軍司令部壕事業所とは
旧海軍司令部壕事業所は昭和19年(1944年)に太平洋戦争沖縄戦の際に、日本海軍設営隊(山根部隊)によって掘られた、日本海軍沖縄方面根拠地隊司令部が設置された地下壕です。
当時は全長450mあったと言われてており、カマボコ型に掘り抜いた横穴をコンクリートと杭木で固め、米軍の艦砲射撃に耐え、持久戦を続けるための地下陣地で、この狭い壕の中には4000人の兵士が収容されていたとのことです。
戦後しばらく放置されていたが、数回に渡る遺骨収集の後、昭和45年(1970年)3月、観光開発事業団によって司令官室を中心に300mが復元され現在はその一部が公開されています。
旧海軍司令部壕資料館を見学
旧海軍司令部壕事業所の手前には、資料館があり当時の歴史や資料、備品などが並べられています。
当時の悲惨な状況の写真はいろいろ考えさせられます。
こんな武器で戦っていたんですね、、、、米軍の銃、大砲、火炎消火器などとこれでやりあうのは厳しいでしょうね。
「生きて虜囚の(りょしゅう)辱め(はずかしめ)を受けず」というような言葉があり、捕虜になるなら死を選べという考え方が浸透しており、自決した人も非常に多みたいで、日本軍のトップである牛島司令官は、「最後まで敢闘(かんとう)し悠久の大義に生くべし」という、降伏するのではなく、死ぬまで戦い続けろという命令を出し、自決したそうです。
ここまでは無料の展示です。
この先の受付で入場料を払って壕の中へ入っていきます。
【旧海軍司令部壕事業所入場料】
入場料 | |
大人 | 440円 |
小人 | 220円 |
旧海軍司令部壕事業所の地下壕へ
入場料を支払って進んで階段を降りると
円形の石造りの部屋
壕の入り口にはこのような部屋があり、仏像が祭ってあります。
ここから壕の中へ入っていきます。両方には多くの千羽鶴がかかっています。
長い階段が降りていくと壕につながっています。
壕の見取り図及び住所はこのようになっています。
復元されていますが、ほぼ当時のままの空間になっているそうです。
こちらは作戦室(OPERATION ROOM)
それほど広いスペースなどではなく、地下なので息苦しい雰囲気を感じますが、ここで作戦会議などをしていたんですね。壁には当時のイメージする絵が掲載されています。
狭い通路を通って移動していきます。
こちらが幕僚室です
この部屋では、幕僚が手榴弾で自決した時の破片のあとがくっきりと残っています。当時のままの部屋だそうで、非常に生々しい光景です。
暗号室は非常に広く、ここから電報が発信されたそうです。
こちらが医療室であったと考えられる場所で、負傷した兵はいた場所だそうです。
このような形で、狭いスペースの中に所狭しと治療を受けているイメージです。
下士官室。
下士官は士官(将校)の下、兵(兵卒)の上に位置する軍隊の階級区分の一つで、この狭いスペースで立ったまま休息をとっていたそうです。
出口。
ほとんど武器らしいものを持たずにここから出撃し、大半が二度と戻ってこなかったとのこと。
米軍の上陸の時系列
米軍の上陸から戦闘の経過
驚きだったのが、この壕を機械も使わず人間がスコップやツルハシで掘ったということも現代では考えられない労力です。
壁を見ると場所場所にツルハシなどで掘った形跡が見られました。
こんな風に落書きをしていく人が多くいるようですが、何を考えているのかと不思議に思います。
出口に向かっては少し急な坂になっています。
※車椅子の方は出口から入場もできるそうなので確認してもらった方が良いと思います。
出口には売店があり、旧海軍司令部壕事業所に関するお土産なども販売されておりました。
がちゃがちゃなんかも。
昭和33年、沖縄海友会ならびに海軍戦没者慰霊之塔建立発起人会によって建立された慰霊塔です。
ここからは沖縄南部の町並みが一望できます。
■旧海軍司令部壕事業所
住所 沖縄県豊見城市字豊見城236番地
電話 098-850-4055
営業時間 8:30~17:00(10月~6月)
8:30~17:30(7月~9月)
定休日 年中無休
駐車場 無料
サイト http://kaigungou.ocvb.or.jp